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【青と華僑 1】青に生きる時代に合わせた華僑ビジネスの形

目次

メールマガジンをブログに合わせて書き直しました

青好きの青峰隆です。
2016年に入って書き始めた「青色海外ビジネス」というメールマガジンがありました。
そこでは華僑から学んだビジネスの法則を伝えようと綴った、1通あたり数千文字に渡る熱量を込めたメールマガジンです。

読者が200人程度の時に、案内した有料セミナーへ30人が集まるという、成約率10%を軽く越えていた結果もあるもので、その話は表向きには公表していませんでしたが、成約率が5%いったら凄いと言われていた時代の数字です。

その後2017年に僕が日本に戻るまで、海外のビジネス情勢を含めた情報発信をし続け、最終的には500人以上の方に読んでいただき、100件以上のお礼コメントをいただきました。

日本に戻った後は「海外のビジネス」ではないので、ピッタリと配信は辞めて日本での活動を始めます。
日本に帰ってきてからは数百件の事業相談を受けていくことになります。

海外に飛び立った2012年は、英語力ゼロでサラリーマン。
その時は当然ビジネスの「ビ」の字も知らない状態だったので、その時の自分からは想像もできないほどの状態になりました。

そして色々な理由で呼ばれてはいたものの、どこに行っても僕の意見は驚きと共に感謝をされるようになっていました。
これは華僑のあり方に「青」と掛け合わせたときに、ビジネスに関して革命のような価値観をもたらすことが理由でした。

そして2020年になったとき、完全に「青が仕事」になったためにビジネス色の強い話は殆どしなくなり「青を中心に生きている僕」にスポットライトが当たるようになりました。

「青が何故ビジネスになっているのか」という論理は様々な方向から話をする必要があり、一言では言えないのですが「青」を拡げたい僕としては伝えたいことでもあります。

そして「青が仕事」になっている今の状況は、華僑のあり方がベースにあるから成立しているものであり、この部分は多くの形に伝えたいと感じました。

今の時代に合わせた表現が必要な部分もあり、当時の表現と少し変えた部分もありますが、僕のビジネスに対する思考や姿勢はメールマガジンを書いたときから殆ど変わっていません。
Webサイトに合わせて読みやすく整形しましたが、熱量をそのまま伝えたく文章はそのままで、お伝えします。(時代背景が今とは変わっていますが、それも味かなと思います)

これから「自分の青」を見つけて、その道に進む人が増えていきます。
その時に、華僑から学んだビジネスに対する姿勢のあり方がお役に立てたなら幸いです。

メールマガジンの「はじめに」

この度は青色海外ビジネスへ参加いただきありがとうございます。

「華僑と共に進む海外ビジネスの法則」を含めて、海外に関する情報をお伝えしていきたいと思います。

こちらのメールマガジンを始めた理由は

海外に出ていく信頼できる日本人を増やして、本当の意味での和僑のグループを創りたい。

という事です。

それにあたって、約束事を最初にお伝えします。

  • 信頼を第一にする
  • 自分と相手とそれに関わる人Win-Win-Winが成立しないビジネスはしない
  • 約束事は責任をもって全うする
  • 嘘は言わない
  • 日本人としての自覚を持つ

当然と思う人が多いと思いますが、自分本位の行動をする方がやはり居て、そういう人が1人でもいれば和僑は出来上がりません。
それは華僑の行動を見ていて理解する事が出来ました。
(詳細はご紹介していきます。)

そして、考え方が合わない、情報は要らないと感じた場合は、遠慮無く解除をいただければと思います。

それによって僕は解除された方に対して、マイナスな感情にならない事も約束します。

また、華僑とは中国から出てきた第一世の人を指すので、世界で活躍している中華系の多くは、正確に言うと華僑ではなく華人と呼びますが、華僑の血はしっかりと受け継がれていますので、このメールマガジンでは華僑と書かせていただきます。

さて、前置きが長くなりましたが

第1回は僕自身についてと、メールマガジンを発行するに至った経緯を書きたいと思います。

僕の経歴と華僑

創る力を身につけたサラリーマン時代

僕の仕事はサラリーマンから始まりました。

大学は物理学専攻を卒業。
人見知りが激しくてコミュニケーションが取れないから、営業とかは出来ない。
という理由で、システム会社に入社しました。

パソコンのメールの設定も出来ないくらい、何も分からないまま始まったのですが

プログラマー、システムエンジニア、プロジェクトマネージャーを経て、Webディレクターになり

  • 大手企業の社内コミュニケーションソフト作成
  • 企業向けWebサイト200サイト制作と管理
  • 関西No1のポータルサイトをゼロから構築

を主に手がけました。

実務に合わせて読んだ本は200冊を超え

  • Windows、Macの個人用パソコン
  • Linuxと言われるサーバーの運用管理
  • 社内のネットワークやIT機器の設定
  • ソフトウェアの開発

等、ITに関しての知識を幅広くつけ、国家資格も取得できました。

最終的には、デザイナーやプログラマーに指示を出しながらWebサイトなども創れるようになり、少人数のメンバーでのプロジェクトマネジメントもこの時期に自分の中で完成しました。

サラリーマン時代は主に、自分でやる事や人に動いてもらうことも含めて「創る為の技術に特化していた」と思います。

初めての海外で初めての起業

その後、マレーシアのジョホールバルで起業。
初めての海外生活で初めての起業をしました。

CTOとしてITを使った仕組みづくりをしながら

Webマーケティング
Webブランディング

という「販売していく方」をメインに行うようになりました。

創れる事と売れる事は全く別物で、色々と試行錯誤をしましたが、僕らが仕掛けた「母子移住・教育移住」という言葉は日本に定着し毎月の様にメディアの取材が来ました。

一部ではありますが

  • 未来世紀ジパング
  • とくダネ!
  • 新報道2001
  • クーリエ・ジャポン

といった全国区のメディアも少なくありませんでした。

これらも含めて僕だけの力ではないのですが(ので、あまり表に出さないのですが)

メディアの後押しもあり、実績としては

  • Facebookページは2万いいね
  • メールマガジンは1万人
  • ブログランキング1位

など、様々な分野で数字は出ていき、教育移住対象として紹介していたジョホールバルに

訪れた家族は300以上
移住した数は50家族以上

となりました。

この事業を手伝っていく中で僕は

海外教育の可能性
日本人が海外に出て行く必要性

を強く感じる事になりました。

  • 3ヶ国語を当然の様に扱い、IT機器も当たり前に使ってプレゼンをする子ども達
  • 日本人である事で得られているモノの大きさ
  • 国内と国外の情報格差

挙げればキリがありませんが「海外に出る日本人を増やしたい」とこの頃から思い始めていました。

ただ、この時はWebという「オンライン」だけでいかに収益を上げるかという事に集中していましたし「ITやWebを駆使すればずっと自由に生きていける」とも思っていました。

オンラインで多くの事を出来てしまっていたので、オフラインはそこまで重要視していなかったのです。

オンラインの限界

ただ、やればやるほどオンラインの限界が見えてきました。

確かにオンラインだけで生活をする事は出来ますが、現実世界には何も創り出せません。

そして、海外で活躍する日本人を増やそうと思っても、オンラインには得手不得手があり万能ではない事もあり、ずっとオンラインがメインで生きてきた僕にとっては、オフラインというのは未知の世界なものの、オンラインだけというのは何か違うなと感じるようになりました。

そして僕自身「オンラインとオフラインの境目」を探す事になりました。

これまで何事もオンラインで解決してきたので、オンラインで境目を探すようになりました。

現実の中にオンラインというバーチャルがあるので、オンライン側からオフラインの境目を探していても、当然、見つかりませんでしたが^^;

そんな事を始めたこの頃に「青好き」が知れていき、人と出会う機会が少しずつ増えていっていました。

「オンラインだけで繋がっているだけ」と「オフラインで出会った事」

この2つには大きな差がある事が分かり、オフラインの力を少しずつ感じるようになっていきました。

ただ、自分のこれまでやってきたオンラインの力が「オフラインへと移行することで無意味になるのではないか」という恐怖も少しありました。

そんな葛藤をしながら答えが出ないまま月日が流れ、一つの大きなプロジェクトの話がやってきました。

ジャパンストリートプロジェクト

ジャパンストリートは「日本食レストランを7店舗集めて創るジョホールバル初の日本食フードコート」です。

  • 本物の日本食を現地の人に食べてもらいたい
  • 日本の飲食店の希望の光に

という事で海外進出をサポートする企業に依頼されたプロジェクトの舞台は

僕が3年住んだシンガポールの隣町「ジョホールバル」

シンガポールには日本人経営の日本食レストランは無数にあるのに、ジョホールバルで日本人が経営しているところは5件以下。

しかし、中華系が経営する日本食レストランはジョホールバルに100件以上あってしかも大繁盛。

味は悪くないのですが「日本人でない人が作った料理を日本の味と思って」食べられている事に少し悲しい気分が出てきました。

「日本人の創る日本食はもっと美味しい」出てきたら絶対流行るのに。
しかも、海外に出ていきたい日本人の方は沢山居るのに、中々出てくるのが難しい。

それに、時間とともに日本のマーケットは縮小してしまい、良い飲食店も淘汰されてしまう。

円安に進んでいて日本の物価はどんどん上がっていくのに、オリンピック以降に明るいニュースはあるか?
放射能問題も全然解決しないから、政治やメディアが日本を良くする方には機能しているように思えない。

誰が悪いとかではない「もう出来上がってしまった日本式システム」は段々と沈む方に舵を切ってしまい、誰にも止められない。

せっかく長い時間をかけて。良い物を創ったのに。品質は高いのに、日本という国と一緒に沈んでいってしまう。

だから、やはり出てくる日本人をもっと増やさないといけない。
日本を変える事は出来ないかもしれないけれど、日本を外からなら救えるかもしれない。

そんな想いが駆け巡り、飲食店の経験など全く無かった僕でしたが「ジャパンストリート」に関わる事になりました。

なぜチャイナタウンがあってジャパンタウンがないのか

ジャパンストリートを作った背景には、もう一つの側面がありました。

それは

「華僑」がなぜ世界でビジネスを成功させていて「和僑」が中々上手くいかないのか

という答えの中に「チャイナタウン」があるという考えです。

華僑はまずその地域に自分たちの街「チャイナタウン」を創りあげる事で定着し繁栄するのではないかと。

世界中見渡すと、どこにでもチャイナタウンはあります。
そして、それぞれがビジネスを持って、華僑の人たちはそこを中心に生活をしています。

ただ、どの国でもチャイナタウンはその地域に溶け込んでいて、華僑の人だけでなくその地域の人にも必要なエリアになっている。

一方、リトルトーキョーみたいな所はあっても、残念ながらジャパンタウンはどこにもない。

だから、ジャパンタウンを創る事が和僑として生きていく為の手段ではないか?

なら、その足がかりとして「ジャパンストリート」という形にしようとなっています。

この頃から「僕は華僑に沢山学ぶことがあるのではないか」と意識をし始めたように思います。

初めてのオフラインの世界

ジャパンタウンの先駆けとして始まったジャパンストリート。
ただ、飲食店なので完全にオフラインの世界。

自分の今まで使っていたオンラインの力は殆ど役に立たなくなりました。
正直、どこから始めたら良いかわからない。

日本食レストランをオープンするのに、何にも知らないのですから当然といえば当然でした。

そして、困り果てた僕が取った行動は

「日本食レストランのオーナーに聞きに行く」

という事でした。

しかし、ジョホールバルに住み始めて3年経っても、オンラインで日本人をお客さんにしていた僕は「英語については生活が何とか出来るくらい」で、ビジネスの話なんてとてもじゃないというレベル。

「こんな状態で話を聞いてくれるのだろうか?」

という気持ちで会いに行ったのを覚えています。

お店を訪ねて、出てきた相手は華僑のオーナー、少しふくよかで優しい雰囲気の方でした。

少し話をした後

「日本食レストランをオープンしたいんですが、どうしたら良いか分からなくて困っています。
教えてもらえませんか?」

という事を伝えると

「ちょっと待って」

と言って奥に行きコピー用紙を何枚も持ってきて、嫌な顔一つせず日本食レストランのオープンの流れを教えてくれませした。
話した概要とその時の僕の心の中は以下のような感じでした。

「内装はどうするの?」(あ、内装居るな!)
「ワーカー(従業員)はどうするの?」(あ、本当だ!)
「ライセンスは?」(会社あるだけじゃダメなの?)

今、思えば本当にひどかったですね(笑)

それでも彼は分からなかった所は何度も繰り返し、理解するまで話してくれました。

そして、彼が教えてくれたお陰で、僕は飲食店をオープンするキッカケを創る事が出来ました。

華僑と関わる事で感じたネットワークの力

マレーシアは「マレー系が6割、中華系が3割、インド系とその他で1割」という民族構成です。
それに反して、経済圏は中華系が8割を握っていて、現に僕がマレーシアで会ったビジネスオーナーは全員中華系でした。

そのため必然的に華僑との仕事になるわけですが華僑が海外で成功しているのは間違いなくネットワークの力だと確信を持って言えます。

そして、このネットワーク力は僕がこれまで培ってきた「オンラインの力が馬鹿らしくなってしまうくらい強力」です。

僕がインターネットで一生懸命探して、やっと見つけて交渉した仕入れ先の値段を電話1分で上回ってしまうような経験を何度もしました。

このネットワークが構築されているのは、もちろんオフラインの力。

そして、僕もオフラインの力を身につけようと、ジャパンストリートのプロジェクトを通して磨いて行くことにしたのです。

ジャパンストリートが出来た時に

ジャパンストリートを進めていく中で、日本人の方も沢山出会いましたし、華僑の人も何百人という単位で出会いました。
正直言って自分が「こんなに人に会うことになる」とは思っていませんでした(笑)

でも、そのお陰でオンラインだけでビジネスをやっていた時の数百倍学ぶことがありましたし、何より大きなネットワークの力が出来上がっていました。

そして、オンラインとオフラインの両方を見ることが出来るようになった時僕は一つの答えにたどり着きました。

オフラインとオンラインの境目の答え

オフラインとオンラインの境目。
これは設ける必要が無いという事です。

オフラインとオンラインを効果的に使い分けて必要があれば混ぜればいい。

大切なのは結果なので、オフラインでもオンラインでもドンドン使って、目的を達成できれば良い。

という結論になりました。

オフラインから見れば、オンラインで何か出来るというのは一つのスキルであるので、レストランを経営できるというのと同じです。

メールマガジン会員が1,000人居たら、それはそれで出来る事があるし、友人が100人居るなら、それはそれで出来ることがあります。

どっちが良いというものでも無いし「オンラインでしか出来ないこと」「オフラインでしか出来ないこと」もあります。

そして、どちらもできる様になってきた僕は「オンラインとオフラインを結ぶ事は出来ないか?」と思うようになりました。

華僑の人が求める日本人とのビジネス

ジャパンストリートを創ったことで、華僑の人の注目が集まる様になりました。

そして「日本人とビジネスがしたい」という話も貰うようになりました。

僕という1個人に何十億円規模のプロジェクトの話が来ます。
当然、1人では捌き切れない量です。

でも、華僑の人のビジネススタイルからして、すぐに回答が欲しいのも分かっています。
そして、放っておくとすぐに流れていきます。

「こんなにビジネスチャンスがあるのに、日本人が知らないから流れていくのは勿体無い」
「もし、これをビジネスにできていけば、海外に出られる日本人は凄く増えていくな」
「海外に出て行く日本人が増えれば、ジャパンタウンが出来ていって、最終的には海外進出が上手くいくのでは」

と思い、取りこぼさずにやっていく方法を模索した結果、思いついたのがこのメールマガジンです。

  • 華僑がなぜ上手くいっているのか
  • 華僑がどの様に仕事をしてネットワークを創るのか
  • 華僑のネットワーク内でのルール
  • 海外で仕事していくにあたって僕が遭遇した場面
  • 日本人が海外でどの様に立ち回れるのか

をお伝えすることで、海外ビジネスの知識を身につけてもらい、海外でのビジネスチャンスを掴んで貰うのに、この方法は最適と考えました。

メールマガジンに込めた想い

多分、最初に華僑のネットワークを掴んでいたら、僕はこのメールマガジンを発行していなかったと思います。

なぜなら、華僑のネットワークがあれば「メールマガジンを発行する知識や技術をつける必要が無かった」からです。

もしかすると、僕の「オンラインの力を無駄にしたくない」というエゴなのかもしれませんが「華僑から学んだ仕事のルールを伝えていく役割」が自分にはあるのではないかと感じるようにになりました。

これは自分がリーダーとなって「これを達成したい」という赤い情熱を持ってガンガン進むタイプだと難しいと思いますが

僕は青の人間です。
青色は2番手です。

自分の為に動くよりも、人の為に動く方が性に合うらしく「これを達成したいという人の願いを叶えていく事」で
これまでの人生を創ってきました。

1人で何が出来るんだと言われれば、たぶん1人で何かを達成する様な人間ではないと思います。

誇れるとしたら、僕はただ「真っ直ぐに青く生きてきた」事。

だから、僕にとっての最大の力は、オンラインでもオフラインでも無く「信頼」です。

僕は信頼という力で「人と人とを繋いでWin-Win-Winの関係を創りたい」と思っています。

そして、それを最も強く持っている「日本人がもっと世界にでてくれたら」世界が変わっていくと思います。

そしていつか「日本人が海外で本当の和僑となるための架け橋」に、このメールマガジンがなっていけば
嬉しく思います。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

青色海外ビジネス ~華僑と共に進む海外ビジネスの法則~

という事で、これから華僑に学んだ事を含めて、海外ビジネスについてお伝えしていきますね。

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この記事を書いた人

青として、青へ導く仕事をしている「青が仕事の人」

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調和しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

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