青好き海外ノマドCTOの青峰隆です。
今、僕が海外にいる事も
そこで場所に縛られず仕事をしている事も
振り返ってみると
始まりは青い財布を手に入れたという事でした。
年収は財布の値段の200倍になるという本に出会う
2011年7月。
「年収は財布の値段の200倍になる」
という本を読みました。
それまで使っていたのは
ポール・スミスの財布。
値段にして2万円程
200倍したら年収400万円。
当たらずとも遠からず。
東京も人生で4回程しか行ったことが無いくらい
生まれ育った関西から出たいタイプではなかったし
サラリーマンとして
仕事も結構バリバリとやっていて
土日はしっかり休んでいたので
会社の人と友人以外との出会いは
ほとんど無い状態で代わり映えしない生活。
財布を変えたら生活も変わったりするのかな?
ちょうど財布がボロボロになっていた事もあって
これを機会に財布を変えようと思い立ったのが始まりでした。
青い財布との出会い
生まれた時から青色が好きな僕は
財布は青色以外は考えられません。
また
財布の値段 × 200倍 = 年収
という財布の公式を知った本に「長財布が良い」ともあったので
「青い長財布」
で、探し始めたのです。
今までの基準であれば
好きなポール・スミスから財布を探して気に入ったものを購入。
だったのですが
それだと財布の公式からすると変化なしなので
しぶしぶ候補から外しました。
幸か不幸かそのおかげで
自分の枷が外れ、筋金入りの青好きの性格が顔を出し
「最高に綺麗な青色の財布を見つける」
という目標に変わりました。
腹を括ると人間何でも出来るようで
LOUISVUITTON
PRADA
CHANEL
BVLGARI
等、それまで入った事の無いお店にも特攻して
青い財布を見て回りました。
場違いな所に入った時は
【店員さん】プレゼントですか?素敵ですね^^
(笑)
な感じで^^;
夜はインターネットで探し周り目星をつけたら
リストにして、休みの日に実物を見に行く。
画面と実物の色は違うので、実物が見れないものは却下。
という事を繰り返したものの
「紺」はあっても「青」が無く
諦めかけた時に
ふと目に止まった青い財布がありました。
運命を変える青「ミコノス」の財布
全てが美しい青一色。
そして、「H」の形をした金具が一つ。
画面越しでも分かる気品漂う形に美しい青色。
ひと目見た瞬間に「これだ」と思いました。
ブランド名「HERMES」
ブランドの中のブランド。
エルメスは色の名前もこだわっていて
普通にブルーとはしません。
この目を引いた財布の色の名前はミコノス。
ギリシャのエーゲ海に浮かぶミコノス島をイメージした青色で
別名「パーフェクトブルー」
青好きの為の財布である事を確信し
実物を見に行くことにしました。
忘れもしない2011年8月1日
ショーケースに入っているミコノスを見て思いました。
この財布以外考えられない
今まで見てきた青い財布が
何だったのかと思うくらい綺麗な青色。
完璧な青色でしばらく時間が止まりました。
ただし、値段は288,000円。
桁は間違っていません。
288,000円です。
少し考えましたがこの「青」を見て引くことは出来ませんでした。
クレジットカードを出して
一括で!
そして、
。
。
。
あれ?店員さんが電話機を持って戻ってきたぞ
【店員さん】カード会社からお電話です
受話器を受け取ると
カード会社の人
お客様のクレジットカードは与信限度額が30万円でして(略)
限度額を越えていて買えませんでした(^^;)
15分待ってください(汗)
と言って店を出て
近くの銀行にいって現金をおろして、再来店(笑)
手に入れた時の気持ちは
嬉しいよりも恥ずかしい。。。
出会いもインパクトのあった(自業自得ですが)
青い財布。
ここから運命が大きく動いていきます。
ふと届いた1通のメール
「カチカチ」
マウスでダブルクリック
いつもの様にメールを確認する。
Amazon、楽天etc…
毎日の様にやってくるメールの山
いつもの様に内容を見ずに削除をしていき
知人や友人からのメールだけを残す
一番上のメールを読もうと思ったその時
1通の新規メールが来て、
メールがずれ、クリックをしてしまった。
開く予定の無かったメール。
さぁ、閉じようと思った時に目に飛び込んできたのは
6年前に買った本の著者の名前。
昔から人の名前を覚えるのは苦手。
そんな僕が名前を見ただけで思い出した事は奇跡に近い。
この数奇なめぐり合わせに奇妙な感覚を覚え
読み進めてみた。
そこに書いてあったのは
「大富豪に会ってみませんか?」
という事。
いつもなら、これもスルーしていた。
ただ、あまりにも出来過ぎている出来事が重なった事に
予感めいたものを感じ、行ってみる事にした。
本物の大富豪に出会う
当日、大富豪が来るという会場に足を運んだ。
「本当にそんな人が来るのだろうか?」
基本的に疑っていた。
普通に考えれば、一般人に会うわけが無い。
さて、どんな人だろう?
大富豪が入場してくる。
見た瞬間、鳥肌が立ってしまった。
素人が見ても「本物」と思う様なオーラ
今まで会ってきた人とは明らかに違う。
大富豪が話し始める。
世界に10以上の自宅があること
毎週の様に違う国に居ること
話す中身のスケールが非常に大きい。
そして、話が凄く上手い。
あっという間に引き込まれてしまい
気がつけば握りしめていた
ボールペンが汗だくになっていた。
大富豪の話から学んだ事は計り知れない。
「タイミングを逃したら2度と来ません」
「行動することが大切なんです」
「自らが成長することに喜びを感じて欲しい」
「英語が出来なくたって海外で生活出来ます」
「失敗したって挽回すればいい」
海外(というより関西外)の事に興味が無かった僕が
初めて海外に目を向ける事が出来たのがこの時。
行動を起こす大切さを自分の心に刻んだのもこの時だった。
そして、大富豪が言ったこの言葉が僕を揺さぶる事になる
「自分の幸せは他人が決めるんじゃない。自分で決めるものです。」
自分の人生に責任を持つ事
自分の幸せは自分で決めると言われて
現状を振り返った。
毎日決まった時刻に会社に行き、
決まった時刻以降に帰るサラリーマン生活。
安定という意味では一番。
「失敗をすれば自分の価値が無くなる」
そう考えていた失敗恐怖症の僕にとっては
疑問に思うことはなかった。
しかし、大富豪に出会った事で
「人間、ここまで自由に生きる事が出来る、自分の人生は自由に創る事が出来る」
と世界が広がった。
それじゃあ、どんな人生にしたいのか?
悩みに悩んだ結果、一つの答えに辿り着いた。
世界の絶景を見て回る人生を送りたい
そう、僕は見たかったのだ、美しい景色を。
見た時の何とも言えない感動を味わいたかった。
絶景を見るというのは思い描いていた夢。
海外に出たくないのではなく
出ることで失敗したくなかっただけなんだと気づいた。
思えばずっと、写真集を買っては眺めていた。
そして、それで満足しようとしていた
どこかで
「海外に行くには
時間とお金と場所の自由に英語が必要だから
海外はハードルが高過ぎる」
と思っていたのだ。
それを目標にしようと決意しようとした時
失敗恐怖症が出てきた。失敗したらどうしよう。
「失敗したって挽回すればいい。」
「行動する事が大切なんです。」
頭の中でフレーズが流れる。
あの場面がフラッシュバックした。
「青い財布を買った時、失敗したじゃないか」
失敗したけど、その後行動した結果
目標を達成した。
事実、手元に青い財布はある。
目標を掲げ続ける限り達成できるんだ
そして、僕の夢は目標に変わり
自分の人生を創る為に行動していく事にした。
「行動する事が大切」
夏が終わり涼しくなり始めた9月。
青い財布に変えてから1ヶ月経った位の話。
「行動する事が大切」と思っても、行動しなかった人が行動するには
心理的なハードルがある。
失敗恐怖症だった僕はなおさらだ。
でも、
「変わる為に行動しなくてはいけない」
ので、一つの作戦を立てた。
それは
人と行動するという約束をする
という事。
失敗恐怖症だったので
昔から人との約束は破れない。
約束を破る = 約束を守る事を失敗した
だから、口約束であったとしても必死で守ってきた。
たとえ、その人がその約束を覚えていなかったとしても。
何か行動しようと思った時には
「◯◯やります」
と口に出すか、メールを送る事で
失敗したくないのでやらざるをえなくなる。
自分の性格はいきなりには変わらないけれど
変わらない部分を上手く利用し
行動出来るようになっていった。
今までとは違う行動するという世界。
動く度に何かが確かに変わっていった。
新しい人に出会ったり、
知らなかった世界に出会ったりする事で、
自分の事も改めて発見できた事が沢山あった。
自分が思っている以上にIT系に詳しい人になっていた事。
そして、その知識を必要としている人が多い事。
外の世界で話を聞いて、どうしたら
Win-Winが創れるかというのを考えていくのが
楽しくて仕方なくなっていた。
新しい刺激を求めて、人に合う回数が増えていった。
色々な可能性を感じていく中で
自分のやりたいと思った事に自分の能力を使いたい
という想いが僕の中に芽生え始めていた。
突如持ち上がった一人暮らしの話
人に会いだして1ヶ月くらい経った時に
【親】自分一人で生活出来る様にそろそろ一人暮らしを考えたら?
特に一人暮らしをする理由も無かったので
しなかったのだけれども
流石にいつまでも実家にいるのもな
と思い、一人暮らしをする為に家を探す事にした。
至極当然の流れだった。
その時のアドバイス
【親】家を何度も引っ越すのは手間もコストもかかるから、今の彼女と結婚するつもりならそのつもりで家を探しほうがいい
これも、ごもっともだったので
そのまま、後の嫁さんになる彼女と二人で家を探す事になり
賃貸を回った。ちょうど決めるまで2週間位。
10月の終わりに家を借りて一人暮らしが始まる。
生まれて初めての「自分の城」
10年住む事を考えて、電化製品を揃えて家具も揃えた。
全ての家電に保証期間の延長を入れて
ドラム式の洗濯機やエアコンなど
最新の家電を入れていった。
出来るかぎり青いものを揃えて
青がないものは茶色や白などの
青に合う色をチョイスしていった。
「家のモノが全て自分の好きな色に出来る。」
というのはとても楽しく
家には青い物がどんどん増えていった。
この時は家の物を揃える為の外出が多く
あまり人に会うことが出来なかった為に
SNS等、Web上でコンタクトを取る人が増えていく。
「機会があった時にお会いしましょう」
この人達とは忘年会で会うことになる。
そのままの流れで決まった結婚の話
家を借りるときは将来を見据えてだったのだけれども
一緒に家を探した事で「結婚」の空気が強くなり
いつか結婚するなら早い方がいいんじゃないか
という事で、両親に挨拶をしにいく事になり
一人暮らしをはじめて1ヶ月も経たないうちに
式場探しをすることになっていった。
最初の目的である
一人で暮らしていけるようにという目論見が
一瞬で無くなった事は酒の肴になっている。
そうこうしているうちに、財布を変えてから3ヵ月が経とうとしていた。
想像のつかない忘年会
人に会うことで縁が生まれるという事を
思い知ったのはこの時が初めてだったと思う。
財布を変えて4ヶ月。
12月に入り、寒さが本格的になっていく中
土日には「忘年会」が本格化していく。
家を引っ越し、やっと落ち着いてきたので
誘われた忘年会には全て参加という姿勢で臨んだ。
会社や友人との会は毎年やっているので
なんとなく想像がついたが
想像がつかないのが
SNSの世界で知り合った人達との忘年会。
新しい出会いに積極的になっていたとはいえ
もともとの性格がそこまで変わるはずもなく
期待半分、不安半分といった感じだった。
全て初対面という忘年会に参加する
自分の人生が変わる様な出会いというのは総じて
今まで会ったことのない人から生まれる様だ。
SNSからの集まりになった忘年会。
それぞれ、年齢、性別、職業を含めて全て違うという
今まで行ったことの無い会だった。
共通点と言えば関西に住んでいて、考え方が前向き
という事くらいだった。
考え方が似ていると
境遇が違っても初対面でも話が弾む。
色々な話題が出て行ったが
そこで、ふと海外の話になった。
何処の国が良かった等、旅行の話も沢山出ていた。
そして、話は膨らんでいき
私、海外に銀行口座を持っていて。。。
なぜ、そんな事をする必要があるんですか?
という話になった。
海外に銀行口座を持っていると海外に出た時に
有利なレートで両替を出来たりして
海外旅行の時に便利だそうだ。
その人は将来住むための家を
海外に買ってその支払いをするなら
海外にある銀行を使ったほうが便利とも言っていた。
海外に口座!? というか海外に銀行からお金が送れるんだ
それまで海外の事を全くと言っていいほど
知らなかった事を露呈しながらも(笑)
シンガポールは世界中から飛行機があつまり
アジアとして見ても中心に近いので
色々なとこに行きやすい
など、海外について
その人には色々と教えてもらった。
世界の絶景を見て回るには
海外に住むほうが行きやすい事も分かり
将来的には海外に住みたいし
その為には銀行口座も必要
と感じた時に
どうやってそういう海外の情報を得るのか
という疑問が出てきた。
海外に行って聞いてまわれば分かるのかもしれないけれど
英語が出来ない僕にとってその選択肢は無かった。
どうやって情報を得ているんですか?
と聞いたらその人が
海外に住んでいる人たちや起業家が集まっているコミュニティがあってそこで情報提供してくれている
と教えてくれた。
ただ、ここはプライベートな所なので
入れる人は限られているとの事。
ただ、その時には意気投合していたので
そこへの参加方法を教えて貰える事になった。
プライベートコミュニティに参加
紹介してもらった所は
参加費用が必要で
当時サラリーマンだった僕では普通に払えない。
海外の人や起業家が集まり質の高い情報網だから当然と言えば当然かもしれない。
さて、どうするか。と言ってもいきなりお金は出来ない。
しかし、参加できるチャンスをフイには出来ない。
そこで、唯一残された手段。
参加費用のために銀行から借金をすることにした。
借金してまで払ったこのお金が、将来良かったと思える様に行動する。
と誓って。
意識の高いコミュニティ参加者達と出会う
コミュニティに参加した瞬間に価値を理解するくらい
その中には「濃い情報」に溢れていた。
さらには意識の高い参加者の人が集まりまさに別世界。
「こんな人がいるんだ」
と、世界の広さを改めて痛感した。
集まった中で、僕は最年少。
コミュニティにも入ったばかりで分からない事も多く
正直、最初は場違いなのかもしれないと思っていた。
そんな心配は全く必要なくて
「若いのにこんな所に来るなんて凄いね。」
とみんな丁寧に教えてくれて
この時も大きく成長できたと思う。
コミュニティに参加してからの密度が非常に濃くて
1ヶ月があっという間に過ぎた。
夢への銀行口座開設が出来なくなるかもしれない
2月に入って間もなくコミュニティで
出会った原田さん(仮名)から
【原田さん】海外口座が開設出来なくなるかも知れないよ
という話を聞いた。
【原田さん】規制がだんだん厳しくなっていて今度、大きなイベントがあるから場合によっては、新規の口座を受け付けなくなるかもしれない
という事だった。
そして、そのリミットは3月。
銀行口座が作れなくなったら夢から一歩遠ざかってしまう。
しかし、戸惑った。
いつか海外に行きたいと思っていても
今すぐ英語は出来ないし
ましてや海外に自力で行ったことも無い
でも、リミットは1ヶ月。
夢の為に、でも来月に海外。。。
航空券の取り方すら分からず
海外に行けるイメージが沸かない。
色々と考えては消えを繰り返した。
しかし、どうするか考えても答えが出ないので
行くのと行かないのとでどっちが将来後悔するか
という事で決める事にした。
行く場合は
会社を休まないと行けないので気を使う
それなりにお金がかかる
行かない場合は
口座開設が一生出来なくなるかもしれない
行って色々失敗しても一時的だけれど
行かなかったら一生後悔する
という結論になって、行くことにした。
行動しないとならないように
僕、リミットまでに口座開設に行きます
ちゃんと、原田さんと約束して。
行き先は香港。
山積みの問題
行くと約束したものの
航空券はどうしたらいいのか
ホテルはどうしたらいいのか
英語も出来ないのに口座開設はどうしたらいいのか
何時行くのか?そして会社はどうする?
お金も何処から出す?
という問題が。
行くと決めただけなのに問題が山積み。
当時、働いていた会社には有給制度が無かった
法律的には違法なので休む権利はある。
ただ、会社の空気を考えると
その権利を使うわけには行かない。
ただ、この機会損失は自分の人生にとっては大きなもので
会社を1日休むのと、人生のチャンスを逃すのというのは
天秤にかけなくてもどちらが大きいか分かる。
ここは、仕事の面では問題が起きないように準備をしておき
当日、減給覚悟で休む事にした。
ちなみに、有給が無いことを証明しようとするなら
何月何日に休みますと事前に書いてハンコを押したモノを
控えと合わせて2つつくり提出。
そして、次の月に給料が引かれる等の
事が起こらないと出来ない。
これをやるとどうなって行くのかは想像がつく。
という事で、
休むことは事前に言えず
この問題はクリアにした。
準備の為にギリギリの日に設定したが
それでも1ヶ月を切っていた。
そして次に渡航費。
コミュニティにも入ったばかりで
結婚式が4月に控えていてそこまでの余裕は無い。
お金は後で何とかなるけど、タイミングはどうにもならない
と考え、これも借金をして行くことになった。
英語が出来ない問題は
原田さんが親切に現地の日本人を紹介してくれた。
これで、問題解決。
後は航空券とホテル。
インターネットで探していく。
「航空券 探し方」から検索。
そして「大阪 香港 航空券」
当時はまだLCCが無くて香港への渡航費は高かった。
お金は確保できるとはいえ、これからの生活もあるので
出来る限り費用は抑えたい。
HISで頼むとホテルも航空券も同時に取れて
安いことが分かり申し込もうとすると
「2名様以上から受付です。」
さて、どうするか。
この時にふと
「香港、行ってみたいです。」
と言っていた後輩の顔が浮かんだ。
大学からもう6年以上の付き合いがある後輩で
タイミングが会えば良く飲みに行く
仲の良い後輩。
とはいえ、社会人になっているから
1か月後に控えた海外渡航は無理と言われても仕方ない。
無理はしてほしくないので、理由は語らず
「来月、香港行くけど一緒行く?」
とメールを送ると
「何しに行くんですか?」
と帰ってくると思いきや。
「大丈夫です。」
と二つ返事。
あっさりと問題解決^^;
こうしていくつかの壁を乗り越え
香港に行ける準備が整った。
運命を動かすたった3回のメッセージ
このまま行けば順調に口座を開設して終わりだったけれど
運命が回る時というのは本当に色々な事が重なるらしい
マカオにいるので予定が合う人は一緒にご飯を食べませんか
とコミュニティの掲示板に書かれた文字。
世界中に法人を持っている人で滅多に日本には居ない
明神さん(仮名)が香港からフェリーで1時間のマカオにいると言う。
そして、
空いているという予定を見ると
香港に到着した日なら会えそうだ。
せっかく会えるのであれば、会いにいこうと思い
お会いできますか?
フェリーの乗り方等、全く分からなかったが
何も考えずにメッセージを入れた。
【明神さん】マカオですけど大丈夫ですか?
マカオまで行きます
【明神さん】じゃあ、当日マカオについたら連絡ください
宜しくお願いします
出発の3日前に会える事が決まり
予定が追加された。
たった3回やりとりした、
このメッセージが大きく運命を動かすキッカケになるとは
この時は知る由もなかった。
香港へ
3日前に明神さんと約束を取り付け
香港行きの準備を始めた僕。
とうとう香港に行く日がやって来ました。
パスポート・チケット・財布・携帯
を何度も確認。
当時、Web制作会社で働いていた事もあり
携帯電話はスマホとガラケーの2台持っていたが
海外パケット定額を使うのは1台で十分だったので
ガラケー1台は置いていく事に。(これが一つの分岐点になる)
初めて自力で行く海外。
人生で一番緊張した旅立ちだった。
関西国際空港に到着してまず
何処に行けば良いのか分からない所から始まり
ゲートは何処?到着するまでにしないといけない事は?
失敗したくないのでとても細かい事まで気にして
確認に確認を重ねたので、
行動自体は大した事は無かったが
心理的には大変だった。
ただ、この経験があったから海外との距離が近くなった。
だから、同じ境遇になった方がいれば
それが早いか遅いかだけで、どんな事だって誰にでも初めての瞬間がある。
最初のその時はどんなに準備しても不安だけど、一度乗り越えたら次からは大丈夫と思える。
だから、その一回だけ頑張ろう。
と伝えたい。
香港に到着
香港までは3時間程で到着。
香港の空港は想像以上に大きかったのが印象的だった。
ホテル到着は15時くらいで
明神さんとの約束は19時から。
香港からマカオへはフェリーで1時間
とあったがとにかく
初めての土地は土地勘が無く
フェリーのある場所は分かっても
どうやって行けばいいのかは未知数。
余裕を持って16時に出る事にした。
間に合わない時間
海外は日本の様にはいかないと痛感した日だった
16時に出て17時にはフェリー乗り場に着いた。
しかし、フェリーの出発が17時45分。
ここから1時間であれば
到着は18時45分だからギリギリ。
しかし、到着したのは18時55分。
ただ、電波が悪く携帯も入らない。
ここからマカオに入る為の入国審査が。
行列が凄くて結局19時を回ってしまった。。。
まさかの遅刻。。。血の気が引く。
とにかく早く連絡しようと
インターネットを繋ぎメッセージを開くと、
明神さんからメッセージが。
やばい、怒られる
と思ったら、そこには意外な事が書いてあった。
まさかのミスマッチ
明神さんからのメッセージ
【明神さん】
マカオでのセミナーの日を勘違いしていて今日は空いていない日でした。すいません。昼ごろ電話したのですが繋がらなかったのでメッセージさせていただきました。
そして、もう一つ
もし、マカオに着いてしまっている様でしたらせっかくなので、例外的なんですがセミナーの2次会にまじりませんか?
という事だった。
後で確認したら、
電話が掛かっていたのは日本に置いていたガラケー。
ネットもこの時まで繋がらなかった。
マカオに到着するまで連絡を取れなかった結果
例外的にその会に参加する事になった。
ここまで偶然が重なると「何か」あるかもしれない
と感じざるを得なかった。
明神さんとの初対面
メッセージを受け取って
待ち合わせの場所で待っていると
明神さんがやってきた。
見るからにエネルギーに溢れていて
起業家らしいオーラを纏っていた。
基本的に人見知りの
僕はどう切り出せばいいかをずっと考えていたが
【明神さん】どこからきたの?
と、気さくに話しかけてくれた為
最初の関門はクリアできた。
起業家は好奇心が旺盛なのだろうか。
そこから、質問攻めにあった。
ここまでどうやって来たのか?
どこに住んでいるのか?
海外は初めてか?
などなど。
僕という人を知ろうとしてくれた様で
この姿勢はとても嬉しかった。
そして、仕事の話になって
Webエンジニアとして仕事をしています
という話になった時
明神さんの雰囲気が変わった。
【明神さん】海外で働く気は無い?
今日が初海外と変わらない僕が海外で働く!?
というのが最初の感想。正直イメージが沸かなかった。
突拍子もない話で戸惑う僕。
明神さんは続ける。
【明神さん】海外に住んだりは出来そう?
これも、僕にとっては未知数過ぎて回答不能(^^;)
その様子を見て
【明神さん】ちょうど今、Webシステムに強い人を探していたんだよねというか、今日必要だと思ったんだ。
その日の朝に行ったミーティングの中で
新しい事業が決まったものの、
その為にはシステムに強い人間が必要だとなったらしい。
探し始めた当日に僕が目の前に現れた。
しかも、ミスマッチをくぐり抜けて。
そこに明神さんも何かを感じた様だ。
【明神さん】海外に来て一緒に仕事は出来る?
この時点で1ヶ月後に結婚式を控えている。
正直、今すぐ結論を出すことは出来ない。
また、仕事の内容が
「Webサイトを制作したり管理したり」
という内容だったので、自分の方向性である
Webサイトのプロデュースやマネジメントしていきたい
からは離れていた。
確かに大チャンスではある。
提示された内容については出来る自信はある。
でも、
自分の進む方向性を曲げてまでチャンスに乗るべきではない
と考え、断った。
そしたら、明神さんからもう一つの提案が
【明神さん】何か仕事を任せたいから、在宅でいいのでうちの会社を手伝ってよ。条件面は話し合って決めるから。
起業家の人からの思わぬ提案。
こちらは受けない理由はない。快く承諾した。
2次会、そして3次会
ここではセミナー参加者の方と沢山の出会いがあった。
この時に明神さんが
Webシステムに強い人を今日から探そうと思ったら
僕に出会って仕事を発注した。
と話をしていた為
周りにいた人、全員が認識してくれたようで
この頃からITの相談が来るようになった。
そして、
現在CTOを務める会社の社長との出会いもここにあった。
その日、20人以上居る中でたまたま隣の席になったのだ。
しかも、この日の時点では
会社設立の予定は立っていなかったので
この後、一緒に会社をやる事になるとは
お互い知るよしも無かったが
今、思えば
この日のこの出会いに意味があったという事になる。
香港での珍道中
運命的な出会いがあっても
ほぼ初めての海外で何も無いわけが無く
マカオからの帰りのフェリーで
ぼったくられたり、
フェリーが到着しても始発の電車がまだ出てなかったりで
時間をかなりロスして睡眠時間を1時間も取れなかったり
その日の約束に10分遅刻してしまったり。
英語が全く分からず「サンキュー」以外話せなかったり。
とにかく失敗の連続。
失敗したくない僕にとっては
かなり精神的にダメージを受けたものの
何とか目的を果たした。
失敗も多かったものの
初めての海外口座、生の英語や中国語。
アジアの成長を感じるなど、得るものも多かった。
「海外って凄い」
色々感じたにも関わらず
この単語でまとめていいのか疑問だが
帰った時の正直な感想だった。(誰にも伝わらないけれど(笑))
そして、財布を変えて7ヶ月が経とうとしていた。
今、振り返っても明神さんと会う運命だったとしか思えない
出来事でした。
この時は海外行きを断った訳ですが
海外に行くことになる出来事がこの1ヶ月後に起こります。
ストーリーの構成上、省きましたが
香港・マカオでの出来事は
まだまだ書ききれない位、沢山ありました。
これはまた機会があれば書いたり
お会いした時にお話したりしたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーー
青い財布とマリーナ・ベイ・サンズ
シンガポールより。
夢の続き
世界中に会社を持つ起業家
明神さんとの運命的な出会いがあって
海外行きを断ったものの、仕事を受ける事になり
あっという間に過ぎてしまった香港での体験。
日本に帰ってから、夢でも見ているのではないかと
何度もほっぺをつねった。
どうやら現実の様だ。
けれども、その余韻に浸る間もなく
1か月後には結婚式が控えていた。
会社に行き、受けた仕事をしながらも式の準備。
時間はあっという間に過ぎ
バタつく中またまた明神さんより1通のメールが。
「東京でセミナーをやるので来ませんか?」
という内容だった。
日程を見ると結婚式の1週間前。
いつも遊びに誘ってくれた先輩も
その日は遠慮をしていたし
その時のバタつき具合は想像を絶するだろう。
実は東京も4回程しか行った事が無い。
海外ほどハードルは高くないにしても
これもちょっとした冒険になる。
しかも、結婚式1週間前。
行けない理由は揃っていた。
そこで、僕は行かないと決めたのだ。
理性と本心の戦い
でも、行かないと決めた時から
胸の真ん中周りが重たくなって、
東京行きが頭から離れなくなった。
理性では行かないと言っているのに
直感というのか本心というのか分からないが
行くべきだと言っている。
頭は行かない、心は行きたい
ハッキリずれている事を感じる。
今までなら、「行かない」と決めたら
この行きたいを抑えこんで行かなかった。
でも、本心を偽ればそれは必ず弊害が出る。
そして、今回はその本心にハッキリ気づいている。
自分の決めたことを変えるのも
行くと決めるのも勇気が必要だった。
結婚式の1週間前に東京のセミナーに行くなんて常識的に考えてどうなんだ
というのが僕の中にあったからだ。
けれど、行けないわけではない。
明神さんが日本に来ることが非常に珍しい。
仕事を貰ったお礼も言いたいのと、
長い付き合いになりそうなので
嫁さんもその人とあわせたかった。
色々やりたい事があるのに、行きたいのに。
と繰り返し、最後に
東京に行かなかったらずっと後悔することになる
と腹を括った。
そして、結婚式の準備に影響を出さないという約束で
嫁さんに頼み込み、東京行きを了承してもらう事になった。
人生5度目の東京
こうして、結婚式の準備も何とかなりそうな状態にして
嫁さんを連れて、結婚式の1週間前に東京へ。
いつ振りになのかも分からない東京
初めての場所も沢山あり新鮮だった。
東京と大阪。
よく似ている所もあるかもしれないが、全然違うと感じた。
僕にとっては日本語の通じる外国と言っても良かったかもしれない。
で、浮足立っていたのか
実は東京でのセミナーの内容は何だったか全く覚えていない(笑)
その代わり、セミナーの後のことは鮮烈に覚えている。
いわゆる、人生が大きく変わる瞬間だったのだから。
誘わない勧誘
セミナーが終わり、その後の懇親会
嫁さんを連れて明神さんに挨拶しに行った。
仕事を貰ったことのお礼を一言と思ったのだ。
お疲れ様です。
と言うと明神さんが
【明神さん】お疲れ様。仕事上手くやってくれてるみたいだね。
と言い僕の目を見た瞬間
何か空気が変わったのが分かった。
手においたグラスを置き
カバンからパソコンが出てきた。
開くとそこには
パソコンの画面にはエクセルの表が表示されている
【明神さん】今、事業の相談を受けていてね。
明神さんが話し始める。
【明神さん】試しにその事業を計算してみると
これくらいの売上になると思うんだ。
いきなりの事でなんの話か全く見えない。
明神さんはエクセルの表を見るように促して続ける
【明神さん】これは結構熱いよね。
エクセルの表を見ると
何十行にも渡って項目が並んでいて
全てを把握するのは難しかったが
段々と利益が上がってくる様子が
細かく書かれている。
これが本当の数字だったらすごい額になる。
【明神さん】ただ、この事業には問題が一つあってね
僕がある程度見たことを確認して明神さんが続ける。
【明神さん】ITやWebの技術的な部分を全て理解していて
事業に落とし込める人が必要なんだけど
良い人がいないんだよね。
明神さんは誰かを探しているなら必ず
「誰か知らない?」
と聞く。
ただ、この時それは言わなかった。
【明神さん】海外でやる事になるから、中々見つからない
技術も理念も理解できる人じゃないと
いけないからね
と、探している人を言うのだけれどやはり
「誰か知らない?」
とは言わない。
そして、理由もなく話をする人でも無い。
つまり、遠回しに誘われているのは僕。
僕が海外!?考えられない。いや。。。
自分の想像を超えた内容を受けると頭はそれで一杯になる。
ワインが良い具合に回っていたのもあってか
頭の中には事業についての話がぐるぐる回っている。
その後、すぐに会場の終わりがやってきて
僕は消化不良のまま。。。
気がついたら2次会
気がついたら嫁さんと2人で2次会の会場の席につき
目の前に座った初対面の方とあいさつもそこそこに
さっきの続きを考える。
おそらくさっきの話は
今日返事しなければもう来ない。
さっきの会で明神さんが帰っていたら
タイムオーバーだったけれど
幸いにも明神さんは2次会会場にいる。
時間は確か21時を回っていた。
たぶん、これが最後の会。
居酒屋だからおそらく
タイムリミットは2時間。
その間に結論を出さなければいけない。
新婚生活が始まる家の近くで仕事であれば
即O.K.しただろう。
なんせ、10年住むことを見越して
家具や家電を揃えたのだから。
でも、海外に行く場合これまで揃えたモノを全て捨てないと行けない。
東京へ行くのが嫌で会社を辞めたこともある僕にとって
(理由はちゃんとあるのだけれどこれはまた別の話)
海外移住するということ
海外で起業するという事の
ハードルはとてつも無く高い
英語は中学英語60点
大学には英語無しで入ったため
「小学生以下」と教授に激怒された事もある
完全にトラウマ。
謙遜して英語が出来ないという人はいるけれど
僕は謙遜する余地なし。真剣に英語が出来なかった。
自信が「ある・ない」のレベルではなく、それ以前の問題。
会話できない状態で海外に住む
というのは想像を絶する不安で押しつぶされそうになる。
「無理という言葉は使わない」
という信念でこれまでやってきたが
この時ばかりは「無理だ」と言いそうになった。
でも、本当に嫌なら、
本当に無理なら諦めている。
諦めきれていないという事は
本心のどこかで引っかかっているという事。
なぜ、そうなのかを考えてみた。
香港から今日までの流れは
シナリオのあるストーリーの様に繋がっている。
もっと言えば、財布を変えてからここまで
ずっと「この日」の為に用意された舞台の様だ。
これまでも「流れ」はいつも大切にしてきた。
人生のなかでここまで大きな「流れ」を見たことはない。
だから、「この流れに乗らないと」と心が言っている。
何度か「無理だ」と結論づけようとする度に
心の奥底にある何かが大きく押し戻す。
このまま「行かない」をベースに考えても結論は出ない。
だから、逆に
「何に引っかかって行くという決断が出来ないのか」
を考える事にした。
それこそ沢山出てきた。
「結婚したばかりなのに海外に移住する事の世間体は?」
「英語が出来ないのに移住して行きていけるのか?」
「構えたばかりの新居やその家具・家電はどうする?」
「その事業を回していけるのか?」
「そして家族はどうする?」
気の遠くなるくらいのものが浮かんだ。
「こんな時、直感的に動ける人間だったら」と思ったものの
僕の性格上それは無理。(あ、無理と言ってるw)
つまり、これらを解決していかなければ前に進めない。
一つ一つと向き合い答えを出していく事にした。
結婚後すぐに海外移住することへの世間体
これは、どうなるか分からない。
というか何と言われたとしても
行くと決めたら、行くべきだと思った。
周りに反対する人がいて、それに従ったって
その人が僕の人生の責任を取ってくれる訳じゃない
僕の両親もひょっとしたら反対するかもしれない。
でも、親が願うのは「子供の幸せ」であることは
亡くなった母親から教わった。
だから、海外に行っても
幸せに暮らしていく事が出来れば問題無い。
英語が出来ないのに移住
英語は出来ないが出来たほうが良いと思っている。
何度も勉強しようとチャレンジした。
でも、何度も挫折をして今日まで出来る様になった試しが無い。
だから、
英語が出来ないからこそ、海外に行こう
と思い直した。
話せなかったら生きていけないのだから
話せる様になるだろう。
という考えだった。そしてこうも考えた。
英語が出来ないのに
海外で働けるなんて話はめったにない
これはチャンスなんだ。
随分と気が楽になったのを覚えている。
構えたばかりの新居や家具は?
青色に合う色の家具とかとてもこだわって
家電も10年使う予定で良いものを揃えた。
総額200万以上は使っている。
使った家電は新しいとはいえ
売ってもそこまでお金にはならない。
これまでの努力が全て無駄になりそうで
「勿体ない」気持ちになってしまっていた。
しかし、この勿体ないを上回る人生にすれば良いのだと
納得して断つ事を決めた。
その事業を回していけるのか?
これは自分の問題。
それまで他の人の何倍も努力をしてきた自負はあった。
そして、
自分の力を最大限発揮して自由にITスキルを振るいたい
という希望が叶うポジション。
だから、自分はこの事業を回せるという結論になった。
家族はどうする?
すべての結論を出すまで1時間以上は考えていたが
ここまでは自分の問題だった。
そして、最後の問題。
結婚してすぐに移住となる。それを嫁さんはどう思うのか?
僕の答えが出るまで黙って待ってくれていた嫁さんに一言。
この話受けようと思うんだけど。
【嫁】いいと思う。むしろ行くべきだと思う。
その日、その場に嫁さんを連れて行っていた事が幸いして
その場で聞けるという状態だったのもめぐり合わせだったのだと思う。
今思えば、最初に嫁さんに聞くべきだったと思うのだけれど
その余裕も無いくらい思い詰めていた。
でも、この順番で解決したことで目の前には壁が無くなった。
この一言で僕は決断する事ができた。
これがなければ僕は今も日本にいたと思う。
だから、この一言に今でもとても感謝している。
そして、決意を胸に
一つ一つに向き合って解決して決意が出来た。
あとは、明神さんに伝えるだけだ。
大きな決断をするとそれを早く伝えたくなるのは
それが「気が変わらない内に言ってしまいたい」からだろうか
とにかく、気持ちは早く伝えたいだった。
ただ、明神さんは20人ほどに囲まれて
言いに行ける雰囲気ではない。
逸る気持ちを押さえて目の前のお酒をぐっと飲み干した。
そして、間もなく2次会が終わった。
明神さんを探す。
居たが相変わらず人に囲まれている。
滅多に日本に来ない人だから
当然といえば当然なのだけれど
言いに行くタイミングは非常に待ち遠しかった。
しかし、早くしないと帰ってしまうかもしれない
明神さんを追って歩いて、タイミングを見計らって
明神さん
と声をかけた。
ふと立ち止まって
こちらを向いた明神さんはこちらを向くなり
僕が何を言おうとしているかを悟った様で
無言でこちらを見ていた
さっきのお話、僕にやらせてもらえませんか?
この一言で明神さんは十分だった様で
【明神さん】よし、中で話そう。
と目の前にあったお店に入っていった。
僕もそれについていく形で入る。
そして、適正判断が始まるかと思ったのだけれど違った。
なぜ、僕が選ばれたのか?
いきなり事業の話になり
「あれ?これから質疑応答では?」
と思ってしまったので、聞いた。
もう決定ですか?
と。
そしたら明神さんからは意外な答えが返ってきた。
【明神さん】
僕がエンジニアを探し始めた日に
キミが僕の前に現れた。
しかも、マカオで。
こんな偶然、普通じゃない。
僕はこういう縁をとても大切にしていて
実際、それで上手くいっている。
人の運というのかな。
だから、
キミが目の前に現れた時にピンと来たんだ
この縁は重要だって。
この言葉を聞いた時はっとした。
言葉は違えど明神さんの言う「縁」は「流れ」と
本質的に同じだったから。
そして、僕の「流れ」に対する考えは確信に変わり
事業参加への自信に繋がった。
そこからは考え方の話。
お金の使い方やお金に対する考え方
ビジネスとは何か?人生との向き合い方等
とてもここだけでは語りきれない一晩になった。
僕の中で印象に残った場面は
【明神さん】値段は気にせず家族の為にお金を使う様になって欲しい
という話になった時。
僕は明神さんの前で
事業を軌道に載せて嫁さんに
好きな色のバーキンを買うという約束をする事になった(笑)
※バーキン・・・エルメスの革カバン 大体200万くらい
女性は金額でないのも良く分かっているけれど男としては
チャンスを掴む最後のひと押しを貰ったので
これくらいはと思っている。
こうして、英語の出来ない僕の海外移住が決まった。
財布を買ってから1年後、海外移住しました
結婚式が終わって
海外移住が決まって
新婚旅行へ行って
両親や友人に報告し
すぐに移住と行きたかったのですが
会社に迷惑はかけたく無いと
引き継ぎを3ヶ月かけて行い
2012年8月31日。海外移住をしました。
青い財布に変えたのは
2011年8月1日。
財布を変えてちょうど1年程の出来事です。
東京にも殆ど行ったことの無い僕が
英語できないまま移住するというのは
大きな不安がありました。
しかし、移住してみた結果
絶望する様な事は全く無く
行動する前の不安は
行動したら経験に変わっていきました。
もし、行動しなかったとしたら後悔に変わったと思います。
僕が青い財布を通して伝えたかったこと
ここまで
青い財布に変えたら人生が変わった事
について書いてきましたが
僕がお伝えしたかったのは
「自分の本心に従って行動すれば物事は好転していく」
という事です。
青色はずっと好きでしたが
色々な理由からそれを抑えていた時期があります。
それが積み重なる事で本心が見えなくなり
「僕は一体何がしたいんだ?」
「僕は何の為に生きているんだ?」
もがいていた時期がありました。
しかし、自分は青が本当に好きだと認識出来た時
人生が大きく変わっていったのです。
生まれた時から今まで
形は変わっていきましたが必ず青色が側にありました。
青は僕そのもの。
思考が変われば行動が変わっていきます。
僕は本当に青が好きだから
究極の青い財布にしよう
という「いつもと違う行動」に出た事が
その後、大きな変化をもたらしました。
海外に出たこともそうですし
書いた青い財布の話がYahooに掲載されて
こうして皆さんに読んでいただいている事
全国放送テレビの取材を受ける事
当時は考えられませんでした。
何かを変えたいならそれは
今に満足していないという事ですから
本心に従い行動してみる事だと思います。
「自分が好きな事を見つけたい」なら
「好きな事を見つける為に話をしてみる」から
いつもと同じ行動をしていても何も変わりませんが
少し変えてみるだけでも何かが変わってくるのです。
今までは行ったことのない集まりに参加したり
結婚式の直前に東京にいってみたり
青い財布に変えてみたり
何かが変わるキッカケは本当に近くにあります。
「いつもならやらないけれど、ちょっとやってみようかな」
からで良いと思います。
ほんの少しのキッカケが大きく変える事になっていく。
何かを変えたいと思っている方の
背中を押すことが出来たなら
僕にとってこれほど青い事はありません^^
最後に
青い財布に変えたら人生が大きく変わって
英語の出来ないまま海外移住をしてしまった話
はひとまずこれで終わりです。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
ただ、僕の青に生きるというのは
まだまだ続いていきます。
どんどん青いモノも増えていってます(笑)
今後、どんな風になっていくのかは様々な所で配信していますので「青峰隆のメディア一覧」からご覧ください。
では青を探求している様子を
「蒼より青く」のメールマガジン
では青い財布を含めてさらに色々な話を
書いていきたいと思っているので
いつもとは違う行動に出るキッカケとしてでも
良かったら友人申請やメルマガ登録してみてください。
友人申請は不正と区別する為に
story.jpを見たというメッセージをつけてくださいね。
頂いたものには必ず返事をしておりますので^^
「青い財布に変えました」
「◯◯に来られる時は是非会いたいです」
「これから行動していきます」
という声も頂いています。
「エルメスの青い財布買いました」
という声も頂きました^^
もしかしたら
「青い人に会ったら人生が大きく変わって。。。」
というストーリーが生まれるかもしれませんね(^^)
この物語に出会う前より幸せになって頂けたなら
書いた意味がありました♪
世界のどこかでお会いできるのを楽しみにしております^^
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